素振り文武両道

バットの素振りについてのブログです。

西郷隆盛の言志録5,6,7

2020/05/30 素振りの本数 : 180 本
素振り収穫祭🎑
11:16 +30 本
🌸🌸🌸アサヒ ミンティア


文武両道スイング📚
11:22 +30 本
⛑⛑⛑
「安全第一」連呼


素振り収穫祭🎑
12:54 +40 本
🔴🔴🔴🔴アサヒ ミンティア


文武両道スイング📚
14:36 +60 本
📝📝📝📝📝 📝西郷隆盛の言志録
No.5,6,7


15:39 +20 本
🍳🍳早口言葉
「生麦、生米、生卵」

 

以上180本でした。

 

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本日は180本バットを振りました。


要するに、バットを振りました、と言いたいのです。


そして何か言葉を発っしながら振る事で、素振りの継続性を高めていると、言いたいのです。


ところが『言志四録』が難しく、考えたり調べたりと、深みにはまってしまいました。


そしてついつい、以下のように講釈を垂れてしまいました。


(白抜き数字は素振りの数です)

No.5.
憤の一字、是れ進學の機關なり。➓
舜何人ぞや、予何人ぞや、方に是れ憤。➓

「憤」について

「憤慨」というのは、学びを進める機関車なのだそうです。


世の中の不正や不条理に憤慨して、学ぶという事でしょう。


「舜」について

「舜」は伝説上の聖王で、それは立派な方ですが、それがどうしたと思い勉学せよ、とのこと。


「予(わたくし)」についても、それがどうしたと思えとの事です。


これを私なりに解釈すると、「舜?、それがどうしたの」で終わると、


「わたくし」が舜より偉いと思ってしまい、驕りに繋がります。


さらに「予(わたくし)」にも、至らなさ、矛盾、過失、無学、なところが多々あり、良いところもあるけど、


「それがどうした」と思いなさいと。
でないと、自分の学びに、躊躇する恐れが出るので。


また、「わたくし」1人だけ学んで、ハイ幸せです、とは行かないです。


自分の学びが他人にも有効にならないと駄目と思います。


No.6の「岐(キ)」について

眼を著くること高ければ、❺
則ち理を見ること岐せず。❺


漢字を調べると、枝分かれするという意味で、「岐せず(キセズ)」と否定すると、


「分かれない」となり、本文では「迷わない」になります。


漢字をよく見ると、山道が十字に又裂け、と読めます。


No.7

性は同じうして而て質は異る。➓
質異るは教の由つて設けらるゝ所なり。➓
性同じきは教の由つて立つ所なり。➓


これは、よく分かりませんが、「而して(しこうして)」


を調べると「そうして」「そして」という接続詞とのことです。


文章は、どうも、人の性質というのは「教え」が原因だと述べられているようです。


親や教師の「教え」に性質が左右されるのは、教える側にプレッシャーとなりますが、


教えられる方は、鵜呑みにし過ぎて、縛られれないようにしたいです。